戦後70年

戦後70年の節目に行われる全国戦没者追悼式には今年も、愛する家族を失った遺族が多く参列する。「リッパナ人ニナッテクダサイ」と父の言葉を支えに、戦後の人生を切り開いた男性、「夫はどこかで生きていたのでは」と今もふと思う・・・・参列者はそれぞれの思いを胸に。15日に東京・日本武道館で開かれる式典に挑む。

家族を守った・・伝えたい

「立派になれたかどうかは分からないが、懸命に家族を守り生きてきたことは認めてくれるはず」愛知県豊田市の太田芳伸さん(79)は、お盆の時期にいつも読み返す父からのハガキを手に、はにかんだ。父・初雄さんが広島の大竹海兵団に入ったのは、1940年代始め。太田さんは、愛知県で開かれた出発式で父が頭を優しくなでてくれたことを覚えている。
父は、縦書きの小さな文字でびっしり埋めたハガキを家族や親戚に送った。字を覚え始めた太田さんには、カタカナで書いてくれた。だが、44年6月、母が肺炎の為27歳で他界。さらに「リッパニナグンジンニナッテ、カエリマス」と書いた父も、31歳で戦死したとの知らせが届いた。祖父母の話しでは、「7月8日にサイパン島で亡くなった」という。太田さんには3歳下の弟と6歳下の妹がおり、面倒を見るのは自分しかいないと言い聞かせた。

2人の学費をねん出するため、中学卒業後、昼間は工事現場などで働き、夕方から家の田畑で汗を流した。そして毎晩遅くまで机に向い、漢字の読み書きなどに励んだ。「体を十分気をつけて勉強してください」。父の言葉が励みだった。弟が職業訓練校、妹が高校をそれぞれ卒業すると、64年、豊田市の自動車学校に入社。各車種の指導員資格などを次々と取得し、95年には校長を就任した。2000年の退職後、初めて弟、妹をサイパンに連れて行き、戦没者の慰霊碑に手を合わせた。同じ頃、父が戦地に赴く際に叔父に送った手帳を、叔父の遺族からもらった。中には「遺言状」が挟まっており「子供の教育は十分力を入れ、立派に育てるよう頼む」とあった。「最後まで家族を思ってくれた」と胸が熱くなった。太田さんには今月8日、3人目のひ孫が誕生した。次世代を担う孫たちを戦場に行かせず、平和を守り続ける」。初めての式で、その強い決意を父に伝えるつもりだ。

きょう終戦の日

戦後から70年を迎える15日、戦没者310万人を悼む政府主催の全国戦没者追悼式が、天皇、皇后両陛下をお迎えして東京都千代田区の日本武道館で開かれる。式典には、軍人・軍属の遺族、空襲や原爆で亡くなった一般市民の遺族ら約5500人と、安倍首相など各界代表らが参列する。戦争の記憶を次世代に引き継ぐため、今年、青少年の参列を促しており、18歳未満の遺族が全都道府県から計98人参列する。

 日東探偵社社員一同より

本日、終戦に日。今生かさせて頂いているのは、ご先祖様のお蔭と感謝をしご冥福と平和を願い黙祷・・・・・させていただきます。

 

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